ログインフリーダは、驚いたように口をパクパクさせながらもティーカップを口に運んだ。そして、心を落ち着かせるように紅茶を飲むと大きく息を吐く。
「──意味がわからないわよ。だけど、初対面のはずなのに誰にも話していない私の目的を知っている……あなたに『なにか』があったってことだけは、わかるわ」
「それだけわかってもらえれば、今は問題ない。……念のため聞くが、私のことは知らないという理解でいいか?」
大きくうなずくと、フリーダの赤い髪が揺れた。
「初対面に近いわね。牢屋に忍び込んだときに一度、今で二度目よ」
ふふん、と偉そうに目を閉じて微笑むが、なんで賊なのにそんな態度なんだ?
「一応、忠告しておくが自分の立場はわかっているか? 看守から温情をもらっているようだが、城に忍び込んだ事実は変わらない」
「ふーん、罪人ってこと? でも、よくわからないけどあなたは私を頼ってるんでしょ? 協力するなら罪はなくしてほしいんだけど」
挑発するようにフリーダの瞳が揺れる。
「……罪人か。それは、私のことかもしれないな」
この記憶が本当なら、王子を殺したのは他でもない私だ。
「なに、急に?」
「いや、なんでもない。罪をなくすことはできないが、上と掛け合ってみよう。だから、協力してほしい」
「なーんか釈然としないけど、まあ、いいわ」
フリーダは強気に笑うと、紅茶に口をつけた。
かわいい顔をしているけど、こいつを王子に近づけさせるわけにはいかない。前の記憶のときだって、王子に魔法を教える大役をちゃっかり担って、毎日王子にくっついて手や腕や胸をペタペタペタペタと触りイチャイチャと──こいつは要注意人物。王子の身が危ないって──。
ああ、もう。それどころじゃない!
左右に頭を振って嫌な記憶を振り払った。
「そう言えば、まだ名乗ってないんじゃない、王子の秘書官さん。私のことは知ってるみたいだけど」
「ああ、そうだった。私はティナ。ティナ・アールグレン。王子の傍に仕える王子のための剣だ」
「固っ! 肩書も態度も固すぎ!! もっとかわいらしく乙女な感じのやつがいいんじゃないの~?」
こいつ……! 人が一生懸命考えた台詞を小馬鹿に……!! いや、そうだ。こいつはこういうやつだった。
フリーダの顔がにやついている。もしかして、こっちの反応を楽しんでいるのか?
くっ。振り回されたら終わりだ。
「それで、今の状況についてだが──」
*
私は昨日の成人の儀から今日までの出来事を伝えた。記憶が重なっていること、これから起こる「未来」を覚えていること、記憶の通りに出来事が進むこと。
私が説明している間、フリーダは茶々を入れたりせずに真剣な面持ちで話を聞いてくれていた。私が話し終えると同時に、口を開く。
「それは、たぶん【死に戻り】ね」
手から銀の剣が落ちていく。カランカラン、と地面に当たった音がした。 神に祝福されたと思ったのに。運命から逃れられると思ったのに。巡り巡ってまた呪われた運命は、最悪なタイミングでやって来た。 無精髭を生やした咎人は、何も言えないでいる私の態度に満足したのかその笑みをさらに広げた。「最初はな、あの場で王子をさらおうと思っていたんだ。ベルテーンの城下町でたいした護衛もつけずに歩いているところをな。神の紋章の一つ、太陽の紋章を授かったばかりの王子をさらえばいい交渉ができそうだろう。場合によっては、月の国──終わりの盾の国に渡したっていい」 全身が震えているのがわかる。顔を上げられない。王子の顔を、綺麗な碧の瞳を見ることができない。「だけど、お前が現れて気が変わった。王子の秘書官などと大層な肩書だが、お前の血には咎人の血が流れている。そうだろ?」 ティナ・アールグレン! 剣を拾え! 動け! 頭を回せ! 王子が──王子が待ってる。助けなきゃいけない。王子を守るために嘘をつき通してまでここまで来た! ……はずなのに。「母親を殺したとき、お前は弱かった。守ろうとすることも歯向かうこともできないほどにな。だから捨て置いたのだが、予想外にお前は強くなっていた。今のお前の力は、我ら神に見捨てられた咎人のために使うべきだ。この世界を変えるためにな」「あ……あっ……」 息がうまく吸えない。頭に痛みが走り、ぐるぐると視界が回る。父が倒れ、母が刺され、血が流れるあの夜の記憶が何度も何度も頭の中で回り続ける。「来い。ティナ・アールグレン。忘れたのか? お前は我々と同じ、人の創るこの世界に居場所などないただの咎人だ」 …
これが戦場ならば血なまぐさい臭いに鼻が曲がっていたことだろう。 もう何十体かわからないほどに沸くフォヴォラを両断しながら、ひたすら真っ直ぐに進み続ける。洞窟はまだ掘られたばかりなのか、途中に分かれ道などはなく、迷うことなく王子がいるであろう最奥へと向かっていけている。 また、幸いなことに街で襲ってきたような、あるいは宮殿を襲ったような大型のフォヴォラも出現せず、野生動物に毛が生えた程度の影しか出てきていない。 光がある以上、影はある。だから咎人は無限にフォヴォラを創り出すことができるのだろうか。この能力が神の力だとするならば、その可能性だって十分にある。 突然、地面から飛び出るように姿を現した黒い影をわけもなく斬り捨てる。と、ほのかに揺れる灯りが見えてきた。 王子! 罠かもしれない。いや、十中八九罠だろう。それでもその灯りの方へ私の足は止まることがなかった。 灯りの下へ足を踏み入れると眩い光に襲われ目が眩んだ。鈍く光る黒い光だ。 寒気がするような禍々しい光が消えると、今までいなかったはずのフォヴォラの姿があった。 人よりも二回りほど大きな、毛むくじゃらの巨人。それが大木のような太い腕を振り上げる。そのまま押し潰すつもりだろうが、振り下ろされる前に二本の腕は切り落とされ、次の瞬間には首がはねられていた。 着地。と、同時に拍手の音が聞こえた。音がする洞窟の奥を見れば上半身を縄で縛られた王子が固い地面に横たわっていた。「王子っ! 今! 助けます!」「ダメだ! 来るなティナ!」 駆け出そうとしたそのときだった。一人の男が灯りの当たらない暗がりから、まるで暗闇が分離したように静かに姿を現した。
地を蹴り、空を舞い、視界に入ったフォヴォラを王からもらった銀の剣で次々に斬っていく。息はとっくに乱れて心臓がうるさいくらいに早鐘を打っているが、疲れるどころか指の先から足の先まで力が張り巡らされているように体は軽かった。 でも、心は次へ次へと急いでいた。頭の片隅ではあの光景がずっと続いている。今は、1秒でも早く王子の捕われた場所を見つけなければいけない。 今こそ冷静になれ、ティナ。何も考えなくていい。やることはと言えば敵の殲滅。そのためにするべきなのは剣を振るい、目の前の怪物をただただ消していくことだけ。 醜い豚のようなフォヴォラが列をなして向かってくる。「契約」の言葉を述べて強化した力で剣を横薙ぎにすると、一陣の風が撫でるようにフォヴォラの体を真っ二つにしていった。「あそこだ」 開けた視界の先──梯子をいくつか上った先にある洞穴から、新たに何体かのフォヴォラが出現した。おそらくは鉱山夫が鉱石を掘り出すのに掘り進めた洞窟だ。「王子……」 剣を片手に持ち直して今にも壊れそうな梯子を上り始める。洞窟付近に群がった羽の生えた怪物たちが金切り声を出して滑空してくる。鋭いくちばしが顔に触れる寸前に剣で薙いだ。 思わず舌打ちが出たのは、一体仕留め損なったからだ。左の頬に燃えるような痛みが走り、血が滴り落ちていた。「うるさい!」 岩山の間を回旋し、もう一度鳴き声を上げながら突撃してきたところを確実に切り捨てた。 止血する間も惜しんで次の敵が出てくる前に梯子を上り続ける。洞窟が見えてきたところで、周辺に現れたフォヴォラを下から跳び上がって仕留めると、そのまま何の光も見えない洞窟の中へと入っていった。「マリク王子!」
王子の声が聞こえない。なんで──。「貴様! 王子をどうしたっ! 王子の身を守っていたんじゃないのか!?」 王子の側にいたはずの近衛兵の胸ぐらをつかむ。近衛兵は手を振りほどこうとしながらも何度も首を横に振った。「も、申し訳ありません! 今のフォヴォラの攻撃で」「くっ……他の者は!」 静寂が「NO」と答える。このままじゃ、あのときと同じになる。 私の脳裏に、思い出したくない記憶が浮かんだ。王子をこの手で──。「見ていないのか!? 誰か! 誰でもいい! フリーダにアーダン! 答えて! 王子は! 王子はどこっ!?」 誰も何も言わない。神妙な雰囲気が今の状況を間違いなく現実だと告げていた。私の手を誰かがつかんだ。「ティナと申したな。落ち着け」 イヴァンナが胸ぐらをつかんでいたままの私の手を力づくでほどいた。「落ち着けって、これが落ち着いていられるわけ──」 握ったままだった剣を構える。「ティナ! 待ちなさい!!」 フリーダの声が飛ぶも、構ってなどいられない。「待たない。王子を探す。まだ遠くには行ってないはず!」 そのとき、イヴァンナの手が私の頬をはたいた。「落ち着けと言っている。無意味な仲間割れをしている場合ではないぞ。貴重な時間が無駄になる」 頬が痛む。視界が滲む。涙が出るのは痛みからではない、恐怖からだ。マリクをまた失ってしまうかもしれない。
「王子! 無事ですか!?」「大丈夫だよ……だけど、これは」「王子は後ろへ下がっていてください! 全員王子を守れ! アーダン、フリーダは私とともに敵を迎撃する!」 勢いよく白銀の剣を引き抜くと、一足飛びに近付いて飛び上がった。両手で柄を握り締めて上段から振り下ろす。 が、硬い金属音が響き刃は返されてしまった。窓から突き出た顔に当たったもののまるで手応えがない。「ティナ! 避けて!」 張り上げた声に真横へと転がる。フリーダの分厚い炎の壁が同じく長い嘴《くちばし》のついた鳥のような顔へと命中する。続け様にアーダンが槍を真正面に構えて特攻する。「これで、どう!?」「……いや、ダメだ」 炎と黒煙が消えていくも、全く無傷の状態の様子で怪物は口を開けて咆哮した。「硬すぎる」 もう一度、剣撃を喰らわせるか。いや、効果があるのかどうか。それに敵の攻撃がまだわからない。対応を逡巡していると、ふわりと軽快な足取りで何者かが私の横へと舞い降りた。「貴公らでは埒《らち》が明かぬな。力を貸そう」「アヌ王!」「その呼び名は好きではない。気軽にイヴァンナと呼んではくれまいか」 そう言うと、王は左手を掲げた。その手に宿るのは当然、9つの神の紋章の一つ──〈大地の紋章〉。またの名を〈豊穣の斧の紋章〉。 生い茂る葉のような色鮮やかな緑の光が紋章から発せられると、自身の背丈の優に3倍を超えると思われるほどの巨大な斧が現れた。イヴァンナは、その得物を軽々と振り回すと斜めに構えて怪物と対峙した。「皆の者、今一つ我の後に続け!」 王は風のように速く移動すると、躊躇なく飛び掛かっていった。上段、中段、下段と絶え間なく斧による斬撃が浴びせられる。一打、一打、攻撃が振るわれると同時に空気が破裂するような音が生じ、見間違いかもしれないが空間が歪む。「あれが、〈大地の紋章〉……アーダン! フリーダ! 私達も追撃を!」 両者から掛け声が返ってきた。気を取り直して、剣を構えて走ると、壁を伝ってシャンデリアの上へと跳び上がる。 バルスコフ大将は自らの拳を振るって戦っていた。肉体強化型の紋章なのだろう。アーダンも再び突撃し、長い槍を繰っていた。イヴァンナも変わらず、常人には持ち上げるのも不可能と思われるほどの斧を振るっていた。 攻撃はもう何十回と当たっている。だけどそれでも突き崩せな
王子もまた挨拶を交わした。 アヌ国の王は、女性だが、体つきががっしりとしている。一見、細くしなやかに見えるが、長い間欠かすことなく鍛錬を積んできた体だ。 そして何より、王と呼ばれるにはまだ若い。血気盛んな雰囲気は、常に戦いに身を置く者の力強さを感じさせる。 お互い形式的な挨拶を交わしたところでアヌの王が私の方を向いた。「おや、貴公は?」「ティナ・アールグレン。私の秘書官です」 ここらへんは、前の記憶と同じ。固い挨拶は変わらないのだろう。「面構えがしっかりしている。それに隙がない。秘書官という割には若いが、将来有望と言ったところか。歓迎しよう。政治の場にいる女性は貴重だからな」 前回と同じように、何も言わず深々と頭を下げた。言い方にどこかトゲがあるのは気になるが、私が何かを言える立場ではない。 アヌ王は玉座に戻ると、質素な造りの肘掛けに腕を置いて頬杖をついた。「して、だ。王子。一つ気になる噂を聞きつけてな。少しいいか?」「フォヴォラの件ですね」「そうだ」「聞くところによると、ベルテーンの成人の儀の翌日に襲われたらしいな。しかも貴公は少人数で街に繰り出していたとか。この者たちと同じか?」「はい、そうです」「なるほど。まあ、咎人が人前に現れるのは久方ぶりのこと。対応が後手に回ったのは仕方のないことだろう。だが、それと同じ人数だけで我が国に訪れるというのは、いささか思慮に欠けるのではないか?」 つっ……。回りくどい嫌な言い回しだ。王子の表情を窺うが、平然と見返していた。
「アーダン」 私は、声を抑えてアーダンの顔を見上げた。前回同様異変にすぐに気がついてくれたようで、アーダンの顔から笑顔が消え、武骨な軍人の顔になる。「話は歩きながらといこうぜ。街の人間にもだが、王子に悟られるわけにもいかねぇ」 一つうなずくと、私たちは雑踏に紛れるようにして秘密裏に会話を重ねる。 通常の場合、アーダンの判断は正しい。立ち止まって深刻な会話をしていればそれだけで目立ってしまうし、せっかく街の人々の雰囲気を肌で感じて楽しんでいる王子の邪魔になってしまう。 だけど、私はそう思った過去の失敗を知っている。「それで、敵は賊か? それとも──」「フォヴォラだ」 アーダンは
「いやいや、久しぶりに王宮の外に出るとすげぇ人手だな。王子なんてさっきから目につくもの食べまくってるぜ」「王子は味を確かめているのだと思います。王宮で口にするものは、もう一流のシェフによって作られた料理。それも市民が食べないような高級品ばかりです。こうして市民が食べるものを自ら食することで、その質と安全を確かめているのです」 たぶん……フリーダのやつ、王子にあんな近づいて。手渡しで食べ物を…それに「あーん」まで!?
私は勢いよく剣を振るった。「私には咎人の血など流れていない! 私は王子の秘書官だ!!」 男は口端を吊り上げる。「王子の秘書官か、ご丁寧に自己紹介痛み入る。だが、自分の流れる血を否定するということは、お前の母親を否定することにつながるぞ」 母親の笑顔が頭に浮かぶ。いつも台所に立ち、料理をしている姿が。「いい女だった。お前とよく似た銀髪で、顔立ちもそっくりだな。目だけは人間
フォヴォラもこちらに気が付いたのか、壁や屋根をつたってこちらに向き直ると獲物を狩るように猛スピードで突進してきた。 やはり速い。そして、滑らかに動く四足の筋肉は強靭だ。おそらく体当たりされただけでも、吹き飛んでしまうだろう。 倒すためにはやることは一つ。相手よりも早く斬ることだけ。 私は、剣を地面の上へ滑らせるとそのままの勢いで疾速《しっそく》していく。フォヴォラと衝突する寸前。敵よりも早く剣を振り上げれば──。